歳を取るほど言い訳ができなくなる

同僚の安本さんは最近派遣で入った40過ぎのエンジニアだ。
ただし、安本さんが変わっているのは40過ぎにもかかわらず「エンジニア2年目」ということだ。
普通なら絶対取らない人材だろう。

安本さんは元飲食店勤務だ。
長いこと店長も任されてたらしい。
しかし35歳を過ぎたあたりから「果たしてこのままでいいのか」と思い始めたらしい。
いわく、飲食店のようなサービス業ではなく、物を生み出す仕事、
この世界に爪あとを残すような仕事をしたいと思ったそうだ。
引っかき傷でもよいからと。

そんな中、インターネットでエンジニアを紹介する記事を見つけ、
最近話題の企業の中でこんな人達が働いているということを知り、
いわく、そのスタイリッシュさにしびれ、
一念発起して派遣会社に登録し、勉強もし、エンジニアになったそうだ。


彼を見ていて気づいたことがある。
わからないことがあっても質問をしないのだ。
それだけではなく、明らかに知らないはずの技術や手法についても、
あたかも知っているように相槌を打っているのだ。

わからないことがあったら何でも聞いてくださいねと言ってあった。
だから最初はプライドが高い人なのかと思った。
しかし、あるときあることで気づいた。
わからないことをオープンにできないのだ。

わからない、知らない、をオープンにするのは、
そのことをできない自分をさらけ出すことでもある。
周りは「あの人は2年目だし」と思っているのであまり気にしないが、
本人は意外と気にしていたりする。
「2年目」ということにではなく、「40過ぎにもなって」ということに。

例えば新人は経験が浅いということもさることながら、
20代前半という「自分は社会人としても未熟です」というエクスキューズが
わからない自分をオープンにするハードルを下げている。
しかし、年齢を重ねると、たとえ初心者の分野であっても
「社会人としてそこそこやってきているのだから」という言い訳を許さない気持ちが芽生えるのだと思う。

安本さんのスキルは人並みで、2年目のエンジニアに見合ったスキルがあると思う。
このまま5年やれば5年目並の、10年やれば10年並のエンジニアになれるはずだろう。
でも、人に聞く・教わるという姿勢を取れないので、早い段階で成長は止まるだろう。
そしてますます人に聞けなくなっていくんだと思う。
年齢高く始めた弊害がこんなふうに出るものだとは思わなかった。

安本さんに「これできますか」と仕事を振る。
「できます」と答える。
「なかなか大変だけど、わからないところあったら聞いてくださいね」とそえる。
「まあ、もう、自分も40過ぎなんでね、おっさんの力見せますよ」と必ず言う。
だから気づいたのだ。